詳細不明。城主は工藤兵部光信と伝えられる。
工藤光信は石川備後守の家臣で、天正13年(1583年)豊臣秀吉による四国征伐で伊予に侵攻した小早川隆景の軍勢を迎え撃つ為、高尾城へ籠もり野々市原の合戦で討死した。
野津子城は大生院村(現新居浜市)と福武村(現西条市)との境界にある比高50m程の山に築かれていた。
山頂を削平しただけの遺構しかなく、そこに馬塚と呼ばれる石塚が残り、標柱が建っている。
西の西条市側が住宅地になっており、ここから南尾根を使って鉄塔へ登っていく道が付いている。(地図)
最寄り駅(直線距離)