築城年代は定かではないが享禄年間(1528年〜1532年)に石川通清によって築かれたと云われる。 高尾城は高峠城主石川通清が剣山城主黒川元春に対する備えとして築き、一族の石川源太夫に守らせた。しかし源太夫は次第に高峠城を軽んずるようになり、また一説に謀反が露呈したともいい、重臣達によって暗殺された。
天正13年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で小早川隆景が伊予に侵攻する。高峠城主石川若竹丸はまだ幼く、重臣達によって協議した結果、金子城主金子元宅の意見が通り高峠城に籠って小早川隆景と対することとなった。
元宅は金子城を弟金子元春に守らせ自身は総大将として高峠城に入り、宇高城主高橋美濃守を高尾城に籠らせた。小早川隆景率いる二万とも三万ともいわれる軍勢が怒涛の攻撃を仕掛け、美濃守らは良く防戦したが多勢に無勢で城に火を放って自刃した。
高尾城は城之谷ダムの南方に聳える標高240m程の山に築かれている。以前訪れたときより整備されており、主郭にはベンチや標柱がある。登山道入口は未確認であるが西の方から登ってきている。
主郭は山頂にあり南に高土塁、北西に低土塁が残り、北に二段の腰曲輪がある。腰曲輪の北西下に堀切(堀4)があり、東側には竪堀状地形がある。
主郭の南背後は大きな堀切が三条あり、堀1と堀2の間に低い土塁が巡る小さな曲輪iiiがある。
南の山に林道があり、その途中から尾根続きにアクセスするのが一番簡単だが、途中一ヶ所だけ尾根を北西方向に降りなければならないので注意が必要。
整備された登山道は主郭から北西側に続く尾根方面に続いているが、どこから登るのかは不明。以前はこちらの尾根から登り、北東のペット墓地のある所に下山した。
最寄り駅(直線距離)