築城年代は定かではないが松木越前守景村によって築かれたと云われ、生子山城の支城であった。
天正13年(1583年)の天正の陣で、生子山城主松木安村の嫡男松木新之丞と一族の塩見三郎兵衛が討死したという。
麓城は生子山城と谷で挟んだ東側にあり、西谷川と種子川との間に伸びた山塊の頂部に築かれている。
麓城は南北二郭の山城で、山頂部分が岩山になっており、これを挟む形で南北に曲輪がある。この間には二重堀切があり、北曲輪と南曲輪は少し離れている。
主郭は北曲輪と思われ、やや広く削平され南端にコブがある。東側面には石積が残されている。北尾根は二重堀切で両堀切とも竪堀としてハの字に伸びている。東側面には堀切から伸びる竪堀と並行して伸びる竪堀があり、北尾根にも独立した竪堀らしき溝が確認できる。
南曲輪は北曲輪より狭く、東側に土塁が付いているが、この下は垂直の岩壁になっており、防御施設として付いているものか不明ではあるが、西側は味方の生子山城であるので、東に防御が向くのは自然である。 南尾根はそのまま自然地形で鞍部まで降りてみたが堀切は見あたらない。
種子川自治会館から高速道路の高架橋を潜り城山の東側の林道に入る。すると山を削った入口のような所があり、ここから山に入ることができる。最初少し西へ回り込むように歩いて行くと山上に垂直に伸びる山道が付いている。これを登ると山頂に至る。
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