築城年代は定かではない。
城主は堀山次郎左衛門で、このあたりの小領主連合である小倭七人衆の一人として北畠氏に従っていた。
天正4年(1576年)北畠信雄によって北畠具教が排除されると、出家していた弟具親が還俗して挙兵、堀山次郎左衛門もこれに呼応して城に楯籠もったが、信雄によって鎮圧された。
江戸時代には津城に入った藤堂高虎の家臣笹山小次郎が入ったという。
奥佐田城は近鉄 榊原温泉口駅の北西にある山に築かれている。
奥佐田城は山頂部の曲輪Iと南尾根先端の曲輪IIで構成されており、城の形態は伊賀に類似する。
曲輪Iは山頂にあり土塁囲みで南に虎口を開く。土塁の外側の切岸は低く自然地形のところもあり、曲輪部分は削り込んで削平しているようである。
曲輪IIは分厚い土塁と横堀を備えた城で南北二郭になっている。北上のII1は分厚い土塁で囲まれ、南西隅に虎口が開く。曲輪となる平坦面は非常に狭い。南下のII2も分厚い土塁で囲まれ南に虎口を開いている。
横堀は北背後を堀切、西端は横堀として南の虎口まで伸びている。一方東側は埋もれているのか横堀にはならず、こちらは曲輪II2の土塁のところで止まる。北背後の尾根は曲輪II1の土塁の高さとほぼ同じである。
南麓の民家の東端部に水路があり、そこから北奥に入ると谷になっている。一時期整備されたのか「順路→」など小さな看板があるが道は不明瞭なので、適当なところを登っていけば良い。
最寄り駅(直線距離)