築城年代は定かではないが南北朝時代に細野氏によって築かれたと云われる。 細野氏は長野氏の一族で弘治年間に安濃城を築いて移った。
細野氏が去った後に長野氏が南北朝時代の長野城から細野城へ居城を移したと考えられている。
細野城は伊賀街道に面し、長野川と板谷川に挟まれた丘陵に築かれている。 細野城は西の城・中の城・東の城で構成される。位置的には北・中・南と呼んだ方がわかりやすい。
中の城は南へ伸びた尾根に築かれ、北側に堀切を設け、土塁を伴う主郭があり、南の尾根に向かって削平地が続いている。
東の城は中の城の南にあり、円形の主郭に帯曲輪が取り巻き、東へ伸びた尾根に削平地が続いており、屋敷を区画したような低い土塁が残っている。
西の城は中の城の北にあり、頂部から四方に伸びた尾根に削平地が残っている。
中の城と西の城は尾根続きで密接した関係にあり、東の城は自然の堀となる谷を挟み、北の尾根には谷側に土塁状の高まりが残っている。
国道163号線の長野新橋の南側に案内板が建っている。ここから入ると中の城と東の城の間の谷を通り、随所に道標が設けられているので迷うことはない。
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