築城年代は定かではないが草生氏によって築かれたと云われる。 草生氏は長野工藤氏の一族で五代長野豊藤の頃に分家したと云われるが定かではない。
草生氏は永享年間(1429年〜1441年)の頃に草生大和守、天文年間(1532年〜1555年)頃に草生式部少輔、永禄年間(1558年〜1570年)頃に草生越前守の名が伝えられている。
長野氏が織田信長のに属した時、草生氏も織田氏に属したといわれ、その子孫は後に藤堂氏に仕えたと云う。
草生城は比佐豆知菅原神社の東にある小山に築かれている。
頂部に主郭、東下に二の曲輪、さらに東へ伸びた細い尾根には堀切が残る。 主郭は西側に高土塁があり、北から西側にかけて規模の大きい横堀が巡る。二の曲輪は南北両側に土塁があるが、南側の土塁は高く食い違い虎口のようにも見える。
比佐豆知菅原神社を目指す。比佐豆知菅原神社の南の県道28号線を東へ降りて行くと左側に案内板が建っている。ここから柵に沿って北側へ入って行くと城址にたどり着く。
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