貞治元年・正平17年(1362年)家所祐蔵によって築かれたと云われる。 家所氏は長野城主四代長野氏祐の三男祐蔵が家所周辺二十四ヶ村を領して家所に住んで家所氏を名乗ったことに始まるという。
家所氏は初代三河守祐蔵より、飛騨守祐房、弾正祐長、玄蕃祐則、刑部祐友、三河守祐藤、隼人正藤實、三河守藤安と八代続いたが、藤安は元亀3年(1572年)織田信長との戦いで戦死した。
家所城は辰水小学校の東にある独立丘陵に築かれている。 南の侍屋敷跡から登ると大手門跡に達し、つぶて石と大手門跡の石垣がある。ここが主郭でかなり広く周囲には土塁が巡らされている。主郭の北側中央に櫓台があり祠が祀られている。その東隣も櫓台で、北側と東側に規模の大きい空堀が残る。
主郭から東側の空堀を越えて東の尾根伝いに曲輪が伸び、地形に沿って北側へと続いており、この先が出丸となっている。
城山の南側、明顕寺の東側から登る道がある。辰水小学校を目指して行くと途中から道標がある。
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