築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に奥山平太夫貞兼によって築かれたと云われる。
奥山氏は北畠氏の家臣で永禄11年(1568年)織田信包によって攻められたが、北畠氏の加勢もあって落城しなかった。奥山常陸介は北畠氏の養子となった織田信雄に従っていたが、天正4年(1576年)三瀬御所を攻めた際は、病と称してこれに荷担しなかったという。
今徳城は南光寺の北東側に築かれていたという。南光寺も城域と云われ、境内の奥に今徳城跡の碑と奥山常陸介の供養塔が建っている。遺構は北の川に面したところに土塁が残っていたようであるが、現状はアパートなどがあり不明である。