築城年代は定かではないが弘治年間(1555年〜1558年)細野藤光によって築かれたと云われる。細野氏は長野城主長野氏の一族で南北朝時代に細野城を築いて居城とし、弘治年間藤光の代に安濃城を築いて移り、その子藤敦の時に拡張したという。
永禄11年(1568年)頃から織田信長は中伊勢に侵攻する。長野氏の一族である細野藤敦は安濃城に籠って織田軍に抵抗したが、分部光嘉・川北藤元は織田信長の弟信包を長野家の養子に迎えて和議を整えようとした。しかし長野具藤は細野藤敦が信長方に属したとの流言に惑わされて細野氏を攻めたが、逆に藤敦に攻め込まれて生家である北畠氏を頼って落ち延びた。これにより信包が長野氏の当主となり長野一族は織田信長の配下となった。
天正8年(1580年)織田信包は長野氏一族の排除を画策し、細野氏の安濃城に侵攻すると、細野藤敦は城に火を放って逃れ、後に蒲生氏郷に仕えたと云う。また同じく長野氏一族の雲林院城主雲林院出羽守も伊勢から逃れた。
安濃城は伊勢国最大規模の城郭ともいわれ、美濃屋川に面した丘陵に築かれている。
主郭には阿由多神社が祀られているが、周囲には土塁や櫓台、空堀が巡らされている。主郭から東へ伸びた丘陵には南北両側に土塁で囲まれた居館のような曲輪が点在している。伊勢国では同様の形式を笠木館に見ることができる。
阿由多神社または松原寺を目指して行くと良いだろう。南側の参道近くに駐車場がある。
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