築城年代は定かではないが正平年間(1346年~1370年)に家城主水正によって築かれたと云われる。
戦国時代の城主は家城主水祐之清で槍の名手であった。之清は天正5年(1577年)北畠具親の挙兵に呼応し川俣の戦で討死した。
家城城は家城駅の東、北へ伸びた標高140mほどの山に築かれている。
単郭の城で主郭は高い切岸を備え、中央付近に塚状の高まりがあり、周囲はやや傾斜している。北東尾根は二重堀切1、南尾根は三重堀切2でそれぞれ遮断している。
主郭の切岸下に犬走Aがあり、南の三重堀切の最内の堀切が通路となる。北西端は北の二重堀切1の内側の堀切下にあたるが、この二重堀切は内側は一段高いところに設けてあり、虎口を兼ねているのではないだろうか。
山には獣よけの柵を設けてあるが、北西麓の民家の前のところが開く。家の方も城があるのはご存知であった。
未確認であるが、三重堀切の南側に鉄塔があり、そのあたりまで林道が通っている。ここまで車であがることが可能なら、非常に簡単にアクセスできる城である。
最寄り駅(直線距離)