築城年代は定かではないが森本氏によって築かれたと云われる。 森本氏は木造顕俊の子俊重が森本氏を称したことに始まり、代々飛騨守を称した。
永禄12年(1569年)織田信長が伊勢に侵攻したときには森本飛騨守は大河内城に籠城してこれに対抗した。北畠氏が滅亡すると森本俊貞は隠棲して称念寺を建立して北畠一族を弔った。
森本城は現在の神宮寺の辺りに築かれていた。
神宮寺は天明8年(1788年)に森本城跡である現在地に移されたという。森本城の遺構はこの神宮寺の北東側に残存しているが、大半は鬱蒼と茂った藪のなかに埋もれている。
南北に曲輪が連なっていたようで、低い土塁と幅の狭い空堀遺構が確認できる。北端の曲輪は歩きやすく南は普通の土塁だが、東の土塁は外側のほうが高く曲輪側が低くなっており違和感がある。