伊勢 阿坂城いせ あざかじょう

城郭放浪記


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伊勢 阿坂城の写真
掲載写真数
形態
山城(321m/250m)
別 名
なし
文化財指定
国指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
北畠氏,大宮氏
歴 史

築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に北畠満雅によって築かれたと云われる。

正長元年(1428年)小倉宮聖承(小倉宮)は皇位継承に不満を抱き、伊勢国司北畠満雅を頼って嵯峨より伊勢に落ちると、北畠満雅は鎌倉公方足利持氏とともに挙兵した。 満雅は阿坂城を築いて足利将軍の軍勢を迎え撃つと、幕府軍は城を包囲して水の手を切った。このとき籠城軍は白米を馬の背に流して水があるように見せかけ、幕府軍を欺いたことから白米城とも呼ばれる。

永禄12年(1569年)織田信長が大河内城の北畠具教を攻めたさいには、重臣大宮入道含忍斎が阿坂城に籠もっていたが、織田の家臣木下藤吉郎らに攻められて落城した。

説 明

阿坂城は標高312.6mの桝形山に築かれている。山頂の主郭部を白米城、北尾根にある曲輪を椎の木城とも呼ぶが併せて阿坂城である。

主郭部は山頂部にあり白米城と呼ばれているが、山頂を円形に削平し切岸加工している。北東側に浅い堀切があり、その尾根はそれほど削平されていないが、先端部分にも一条の堀切がある。

主郭から北西に200m程離れた所にあるのが二郭で椎の木城と呼ばれている。二郭は切岸で高く削られた曲輪を南北二郭にし、周囲には低土塁が巡る。北西側にはやや大きな竪堀が一条あり、そこから北側にかけて土塁の付いた腰曲輪がある。北東尾根は堀切で遮断しているが、今は遊歩道があって食い違い虎口のようになっている。主郭へ向かう南尾根は二条の堀切が残る。

北西麓にある浄眼寺は文明10年(1478年)に北畠政勝が僧大空玄虎を招いて建立したと伝えられる寺院で、北畠氏縁の寺院である。

案 内

登山道はいくつかあるようですが、浄眼寺境内から続く登山道が良く整備されており、駐車場やトイレも完備している。

最寄り駅(直線距離)
3.7km 権現前駅
4.2km 上ノ庄駅
4.6km 伊勢中原駅
5.1km 伊勢中川駅
5.5km 六軒駅
所在地/地図
三重県松阪市大阿坂町桝形山
付近の城(直線距離)
1.0km 伊勢 枳城
1.4km 伊勢 高城城
2.3km 伊勢 岩内城
2.4km 伊勢 八田城
2.4km 伊勢 森本城
3.0km 伊勢 釜生田城
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3.3km 伊勢 赤城
4.0km 伊勢 伊勢寺城
4.0km 伊勢 筒野東砦
4.0km 伊勢 筒野西砦
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4.7km 伊勢 小山城
5.1km 伊勢 須賀城
5.6km 伊勢 白山城
5.8km 伊勢 岡ノ谷城
6.0km 伊勢 船江城
6.6km 伊勢 八太城
6.6km 伊勢 立野城
6.8km 伊勢 松坂城
6.9km 伊勢 上出城
7.0km 伊勢 長谷砦
最終訪問日
2011年12月
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