築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)に田上玄蕃頭によって築かれたとも云われる。
田上氏は北畠氏に属していたが天正4年(1576年)北畠氏が滅亡すると羽柴秀吉に仕えた。北畠氏が滅亡した後は織田信雄の家臣日置大膳亮が入っていた。
八太城は伊勢八太駅と一志駅の中間にある標高69.2mの山に築かれている。
主郭は広く楕円形で西側に幅広の土塁があり行者様が祀られている。主郭背後の尾根に小さな二条の堀切があるが、参道となる南東尾根側には堀切はなく、切岸もやや曖昧である。
登山道は南東尾根先で鳥居があるので簡単にわかるだろう。北山腹に水道施設があり、そこまで舗装路が続いているので、その脇からよじ登ると主郭に達する。ただし水道施設までの道は車は通行できない。
最寄り駅(直線距離)