『日本城郭大系』や『三重の中世城館』では北畠家臣小田越中守の城とするが、『織豊系陣城事典』では天正伊賀の乱で北畠信雄の命によって築かれた城としている。現状の縄張からすると後者の遺構と考えるのが妥当である。
矢鉢城は伊勢と伊賀の国境近くにある標高655mの山に築かれている。
屈折を伴う土塁と横堀が囲繞する小規模な城である。この城で一番特徴なのは曲輪の場所である。通常の城は一番高いところを曲輪として造成し、高低差を使って防御の基本とするが、この城の一番高いのは曲輪IIの東外側で、ここには広い緩斜面地形が広がっているが城としての普請は全く行われておらず、そのまま残してある。
曲輪IとIIがあり、曲輪IIの東端が一番高くなる。IとIIをどちらが主郭とするかは非常に悩んだが、虎口などの配置から北西側をIとした。
虎口1は斜めに土橋が架り、Iから横矢が掛かる位置にある。その外側には方形基壇Aがあるが、その用途は不明である。曲輪IとIIの間には小さな枡形状空間を持つ虎口2がある。
メナードカントリークラブに隣接するが、県道からは少し遠い。 ゴルフ場に隣接する県道755から山道と林道経由で山伝いに歩いていく。
最寄り駅(直線距離)