築城年代は定かではないが享保11年(1726年)加納久通が一万石で諸侯に列して東阿倉川に陣屋を構えたことに始まる。
加納久通は和歌山藩士であったが徳川吉宗に従って幕臣となり、千石から加増されて享保11年(1726年)に一万石となって諸侯に列した。所領は伊勢、下総、上野などにあったが、東阿倉川に陣屋を構えて八田藩となった。
寛政5年(1793年)三代加納久周のときに若年寄となり、三千石を加増され一万三千石となる。文政9年(1826年)五代久儔のときに上総国一宮へ陣屋を移し、以降明治まで続いた。
東阿倉川陣屋のあったはあたりは宅地化されており位置ははっきりしないが、宅地の一角にある小公園の辺りという。