伊勢 浜田城いせ はまだじょう
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文明2年(1470年)田原忠秀によって築かれたと云われる。 忠秀は赤堀氏の祖景信の三男であるが、赤堀氏は上野国佐位郡赤堀発祥で田原景信の次男が上野国赤堀城を継いで、長男盛宗が伊勢国羽津に移り、三男忠秀が伊勢国浜田に城を構えて「赤堀三家」と呼ばれた。
天正3年(1575年)織田信長によって攻められ、当主元綱は討死し、元綱の子重綱は美濃国へ逃れた後に織田信雄に仕え、天正12年(1584年)美濃国加賀野井城で討死したという。
現在は鵜の森公園となり、鵜の森神社周辺にわずかに土塁跡が残るのみである。