築城年代は定かではないが山路弾正によって築かれたと云われる。 山路弾正は神戸城主神戸友盛の家老であった。
永禄10年(1567)年と翌11年の二度にわたって織田信長の攻撃を受けたが落城せず、信長の三男信孝を神戸家の養子にすることで和議が整った。 元亀2年(1571年)神戸友盛は信長によって隠居を命ぜられると、主君の不遇に山路弾正は神戸城討伐の謀叛を企てたが失敗し自刃した。その後は、信孝の異母兄弟にあたる小島兵部が高岡城主となった。
高岡城は鈴鹿川北岸の標高50m程の丘陵に築かれている。 城山の南東部が高岡城跡公園となっていて、ここまで車であがることができるが、道はかなり狭い。ただ駐車場だけは意外と広い。
肝心の城跡なのですが、遺構があまりよくわからず、公園の部分と北にある竹藪部分は平地が続くものの特に明確な遺構はない。西側は畑となっていてここもよくわからないのですが、堀跡らしきものが確認できる。ただこの辺りは立ち入り禁止部分も多く、散策には注意が必要。
鈴鹿川に架かる高岡橋を北へ渡り、道なりに西へ進んでいくと山上に行く道があり、登り切ると城山公園の駐車場にたどり着く。
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