寛文6年(1666年)頃に堀親興によって陣屋が築かれた。堀親興は烏山藩主堀氏の庶家で三千石の旗本であったが、烏山藩堀氏が信濃国飯田藩に転封になったことにともない、采地を下野から上総へ移された。
旗本堀氏は元禄16年(1703年)親興が没し、嫡子の親賢が信濃国飯田藩堀氏の養子となっていたことから旗本堀氏は断絶となった。
文政9年(1826年)加納久儔のとき本拠を伊勢国八田から上総一宮へ移し、これ以降は一宮藩となった。これは幕府の海防政策の一環とされ、加納氏の所領は伊勢、下総、上総などに点在しており、一宮領も移転以前から支配していた。
一宮陣屋は一宮小学校に築かれていた。
文政9年(1826年)に加納氏が本拠を移す前の陣屋が小学校の場所で、移転後に中世一宮城の領域を陣屋に組み込んだと云われる。このとき大手門が現在の公園入口にある場所に設けられ、北の観明寺側に裏門を配置した。
陣屋の遺構ではないが、観明寺の四脚門に森氏の家紋が残されている。