詳細不明。『図説 茨城の城郭』によれば、佐竹一族の高部景義の次男成義からはじまる檜沢氏、また、佐竹義舜家臣の小室氏が一時檜沢城であったという。
檜沢城は仲桧沢集落の西背後に聳える標高210m付近に築かれており、さらに登った標高291mには檜沢古館がある。近年地元の方々によって整備が行われており、適度な木々の伐採で非常に見学しやすくなっている。
檜沢城は標高210m付近に主郭があり、そこから東へ伸びた麓に居館跡と考えられる「字館」があり現在畑となっている。その間には南北両側を谷に囲まれた尾根を段々にした遺構があり、居館と詰めが一帯となった山城である。
主郭は古館に続く西の尾根を二重堀切で遮断し、南へ続く尾根を広く削平して周囲に高い切岸を巡らせ、南端付近には竪堀をいくつか設けている。主郭から東の居館方面に下ると二条の堀切があり、その先は居館と詰とを結ぶ幅広の尾根を段々に造成した曲輪で北側には土塁が続いている。
登口は居館となった畑へ登る北の谷の入口で、防火水槽のところから入る。
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