築城年代は定かではないが小田野氏によって築かれたと云われる。 小田野氏は佐竹庶流山入氏の一族で、山入師義の子自義より始まる。
応永年間(1394年~1428年)から始まった山入の乱では小野田氏は山入一族ながら宗家に味方して功績を挙げた。戦国時代には小田野義房が佐竹義昭、義重二代に重臣として仕え、義房の子義忠のときに佐竹に従って秋田へ移った。
小田野城は小田野川とその支流が合流する地点の西側、東へ伸びた尾根の先端頂部に築かれている。
主郭は山頂にあるが非常に狭く、土塁とされる土盛りがさらに狭さを助長している。西尾根を遮断する二条の堀切が明瞭でありが、北東と南東の尾根にも浅い堀切を設けている。
曲輪は主郭を中心に同心円状に帯曲輪、武者走り程度の削平地が取り巻いているが、切岸も削平も甘く、古い時代の城という印象が強い。
東麓の県道沿いに案内板が設置されており駐車可能である。ここから山に入る道は非常に分かりづらく、谷に向かって右上に登って行くルートが正しいルートのようであるが、急坂をよじ登る感じになっている。