築城年代は定かではないが高沢氏によって築かれたと云われる。 高沢氏は新羅三郎義光の子孫伊賀守氏信が常陸国高沢に住んで高沢氏を称したことに始まるとされる。
高沢氏の後は鳥子江戸氏、武茂氏など佐竹氏に属した領主によって守られていたと推測されている。
高沢城は緒川の西岸にある比高80mほどの山に築かれており、現在は整備されている。
美和地区の山城は近年地元の方によって徐々に整備されており、この城も山の木がほぼ伐採され、国道沿いに立派な案内板が設置されるなど整備された山城の一つとなった。
主郭は山頂にあって一段小高くなった曲輪Iがあり、その周囲を曲輪II、IIIが取り巻いている。この主郭部から四方に伸びる尾根をすべて堀切で遮断している。
北西背後を遮断する二重堀切の内堀は北側が屈折して竪堀を伸ばしており、これに応じて曲輪も折れを伴っている。
主郭部の南端にあるAは西側が竪堀状になっており、その下方に堀切3がある。他の堀切が尾根を完全に遮断しているの対し、この堀切3は東に竪堀を伸ばさず、西は竪堀との間に土橋を残している。このことから考えるとAの脇にある竪堀状の地形は虎口であった可能性もある。
東尾根を遮断する堀切4の先はほぼ自然地形の尾根で若干削平段が認められる程度であるが、東端から南に降った所に堀切5と竪堀が残されている。
国道293号線沿いに案内板が設置され駐車場になっている。登口は鳥居が目印でそこから尾根を登る踏み跡が付いている。
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