築城年代は定かではないが山方氏によって築かれたと云われる。 山方氏は美濃国山方を名字の地とする藤原氏の支流で、上杉憲顕の子憲利を祖とし、盛利の時より山方氏を称したという。
応永14年(1407年)佐竹氏十一代佐竹義盛の養子として関東管領上杉憲定の次男義憲(後に義人)が迎えられると、その後見人として山方能登守盛利が常陸へ下向し、山方城を居城とした。
文明年間(1469年〜1487年)佐竹義治の五男政義が佐竹東家としてこの地を治めた。
山方城は久慈川に面した台地の上に築かれており、現在は資料館となっている模擬天守が建っている。
模擬天守があるというのでそれなりの公園だと思っていったのだが、模擬天守のある台地の東端部だけが公園で、その他は宅地や畑となっている。公園の駐車場が遊歩道入口の車止めの前の小さなスペースしかなく、最初は閉まっているものだと勘違いしてしまった。
「御城(みじょう)」と呼ばれる台地の部分は南北に走る空堀が三本あり、東から本城、中ノ城、外城と呼ばれている。模擬天守のあるのが本城でここが主郭である。
高館山は密蔵院背後の山で、南端から北の林道までの間に段々と曲輪が連なっており、主郭はl字の土塁が付いている。
御城展望台(模擬 天守)