築城年代は定かではない。城主は斎藤主馬、主馬判官、斎藤左源太などが伝えられる。
斉藤氏は貞治年間(1362年〜1368年)に斎藤常喜が婦負郡南部一帯を領し、戦国時代には城生城を居城としてた。井田主馬ヶ城は城生城以前に利用されていたと推測され、天文21年(1552年)に斉藤氏は天神林付近で上杉謙信に従っていた願海寺城主寺崎民部左衛門盛永と戦って敗れ、麓の井田館はこのとき落城したと伝えられる。
井田主馬ヶ城は井田川と久婦須川が合流する地点の東岸、標高175.4mの山頂に築かれている。
南北に伸びた丘陵を利用した城で山はなだらかな地形である。主郭部は山頂にあり、北から東側に向かって空堀を巡らし、南東側は側面に畝状竪堀群がある。曲輪は狭く、南北に段が付く。主郭の南方にも曲輪があり、西下に帯曲輪、東に土塁が付くが、南端は不鮮明で堀切はなく、自然地形になっていく。
城山の東側に林道があり、ここから簡単によじ登ることはできるのだが、北側に案内板が設置され、そこから登山道が付いている。(地図)
最寄り駅(直線距離)