築城年代は定かではない。城主は松井修理、松井越後守秀郷父子で宗像氏によって攻められ落城したと伝えられる。
湯原草場城は脇田温泉の東方、北へ伸びた標高177m程の山に築かれている。
南端最高所の主郭部Iから北へ続く尾根に曲輪を連ね、ほぼ全周に近い側面に畝状竪堀群を設けている。
主郭I1は南北に長い曲輪で「湯原草場城主松井越後守秀郷之墓」と刻まれた石碑と歌碑が建てられている。主郭周辺はI2が取り巻くが、南西部Bの所で段差をともなって途切れている。北側は小規模な土塁によって区画され、I3と続く。
曲輪IIはやや傾斜を伴って長く伸び、その先に同じく細長い曲輪IIIが続く。曲輪IIとIIIの境目にある竪堀Aは曲輪にやや食い込むような形状をしており、もともと堀切であったのを埋めた名残のようでもある。
主郭Iの南背後は二重堀切であるが規模は小さく高低差もあまりない。南東に続く尾根には長い畝状竪堀群2を設けており、この城のなかで一番わかりやすい竪堀群になっている。
主郭の北西側面はやや急であるが、畝状竪堀群3がある。曲輪IIの北側の二条は深く明瞭である。
北端の曲輪IIIの周囲にも畝状竪堀群がある。北東端から北東に伸びる竪堀が深く長い他は良く見ないと見落としそうなほど浅く不明瞭である。
東の谷筋に林道があり、その奥から登ると楽に主郭に行ける。
車は湯原生活改善センターに駐めさせていただいた。
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