豊前 松山城ぶぜん まつやまじょう

城郭放浪記


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豊前 松山城の写真
掲載写真数
形態
山城(128m/80m)
別 名
神田城,苅田松山城
文化財指定
町指定史跡
遺 構
石垣,土塁,曲輪,堀切,畝状竪堀群,石段
城 主
神田氏,平信盛,大内氏,大友氏,毛利氏,黒田氏,細川氏
歴 史

天平12年(740年)藤原広嗣によって築かれたのが始まりとされ、 太宰少弐藤原広嗣の乱の時に築かれたと云われる。

藤原純友の乱では神田光貞が立て籠り、以後18代続いたが、保元2年(1157年)平康盛によって滅ぼされた。

戦国時代には大友氏と大内、毛利氏によって激しく争われた。 天正14年(1586年)豊臣秀吉による九州征伐では、黒田孝高が宇留津城攻めの前に陣を構え、黒田氏が中津城に入封すると城代が置かれた。

関ヶ原合戦後は豊前に入封した細川忠興の支城となったが、慶長11年(1606年)頃に廃城となった。

説 明

松山城は北九州空港に向かう道路脇に聳える標高127.9mの山頂に築かれている。 現在は周囲が埋め立てられているようであるが、往時は海に半島状に突き出す形になっていたのであろうか。

2006年に訪れたときには無かったのだが、現在は登山道入口に簡易トイレを完備した駐車場が用意されている。

松山城は山頂に一段小高く主郭を置き、周囲を取り囲むように二ノ段がある。そこから東下へ階段状に二郭、三郭と連なっているが、この曲輪を上り下りするための石段が良く残されている。

曲輪の南側は外側に土塁を配した横堀、北から西側側面には畝状竪堀群を設けて防御している。

案 内

南麓に登山道があり、「松山城登山口」というバス停の辺りから道標が出ている。それに従って行けば簡易トイレを完備した駐車場がある(地図)。

最寄り駅(直線距離)
2.5km 苅田駅
2.9km 朽網駅
5.6km 下曽根駅
6.0km 小波瀬西工大前駅
8.6km 安部山公園駅
所在地/地図
福岡県京都郡苅田町大字松山
付近の城(直線距離)
3.4km 豊前 朽網城
4.2km 豊前 南原城
4.5km 豊前 貫城
5.2km 豊前 高城山城
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6.7km 豊前 恒見城
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7.0km 豊前 長野城
7.7km 豊前 寒竹城
8.2km 豊前 陣山城
8.4km 豊前 堀越城
8.6km 豊前 塔ヶ峰城
8.7km 豊前 足立城
8.8km 豊前 久津尾崎城
8.8km 豊前 丸ヶ口城
最終訪問日
2018年1月
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