建長7年(1255年)下総前司藤原親房によって築かれたのが始まりとされる。 応永年間(1394年〜1428年)頃の城主は門司民部入道親俊という。
寒竹城は別名古志城(きしじょう)とも呼ばれ、寒竹山に築かれていた。 現在の九州自動車道古志パーキングエリアのある所で、道路建設によって消滅したのだが、なんとパーキングエリア内に石碑が建てられている。ただこの石碑が建っている所が、売店の裏で従業員用の駐車場の脇にあり、有ると知っていて探さなければ絶対人目には触れない所である。もう少し人目に触れる位置に建てることはできなかったのだろうか。
九州自動車道の山口方面のpaにある。自動車道を通って行く人、帰る人。休憩ついでに見るのが良い。
最寄り駅(直線距離)