築城年代は定かではない。天正9年(1581年)宇喜多氏の忍山城を攻めるため、毛利方の吉川経言(広家)、伊賀与三郎家久らが在陣していたという。
勝尾山城は備前備中境目にあり、忍山城とは谷を挟んだ東側の山に位置している。
主郭部は広い曲輪IIの中央に一段小高い曲輪Iがあり「奉修太古地之碑」の石碑が建つ。南から東にかけて帯曲輪IIIがあり、西端部分に土塁を伴う。北東端にあるIVはすり鉢状に一段低く、現在の登山道が入ってくるところで、虎口の可能性が高い。
北の尾根背後に残る遺構は凄まじく、横堀から派生した三条の竪堀と、東尾根を遮断する二重堀切+竪堀2から伸びた竪堀が連動して畝状竪堀群を形成し、その下方には堀切3を設けている。横堀の西側は横堀がかけられるが曲輪とはならず緩斜面である。
主郭の西尾根は小さな曲輪群Vがあり、これも南端は土塁のようで、脇に竪堀6が長く伸びる。曲輪Vの下方には堀切5があり、北側は破損しているが、南は竪堀が長く伸びている。
登山口は南の県道勝尾峠の近くにあり入口に道標が出ている。コンクリート舗装された細い道が山上に通じており、分岐点にも道標がある。
駐車場はないが付近にある道路の余白に駐められる。
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