備中 中堀城びっちゅう なかほりじょう
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築城年代は定かではないが那須頼隆の二男那須光隆によって築かれたと云われる。 光隆より四代の末裔那須政隆は、足利尊氏の九州下向の時に中堀城に立ち寄った際にもてなし、それにより下野国中新郷を賜わった。
南江原小学校の南東、国道486号より一本北側の道付近が城址で、現在は住宅地と水田になっている。 堀跡と云われる水田が他の水田より更に一段低くL字型に残っており、その北側の一段高い所が城内だと思われる。