詳細不明。延文年間(1356年〜1361年)に野海遠江守(下野守とも)、永和年間(1375年〜1379年)頃に池田掃部介が伝えられる。
雄瀬山城は小田川が大きく蛇行する地点に聳える標高160m程の山に築かれている。
山は東西に三つの峰が並んでいるが、城郭遺構があるのは東側の2つの峰で、一番西には遺構はない。
もとに山頂に小さな削平地があり、それを取り巻くように帯曲輪、腰曲輪の段が続いている。堀切は明瞭ではないが、西郭は東端部、東郭は北東側が堀切であったと思われ、一部竪堀となって残っている。
城の北側を大段地区に登って行く車道があり、その途中に簡易水道施設がある。この裏手から尾根伝いに登って行く道がついている。
最寄り駅(直線距離)