築城年代は定かではないが明応年間(1492年~1501年)に備後の宮三郎義兼が居城していたという。
天文年間(1532年~1555年)には宍戸孫六郎が城主であったが、永禄11年(1568年)正霊山城主藤井皓玄が毛利に反して神辺城を攻めたとき、滝山城に攻め寄せ城主宍戸孫六郎は討死したという。
天正年間(1573年~1592年)には毛利の家臣宮下総入道応政が在城したが、朝鮮出兵で討死して廃城となったと伝えられる。
滝山城は備中備後国境に位置する標高100mほどの山に築かれており、現在は整備された道が付けられている。
山頂の案内板が設置されているところが主郭となるが、畑や果樹園として利用されていたためであろうか、ほぼ緩斜面地形になり、縁には溝切りがしてある。主郭の西側面は石取りによるもので、その縁には土塁状の高まりが残る。
主郭の東に曲輪II、南に曲輪IIIと広い緩斜面が広がるが、南の谷方面にはさらにIV、Vと続く。段差は1mから2mほどで切岸は城というよりは畑の造成に伴うもののようにみえ、傾斜も谷下にいくほど急になる。
切岸部分には一部石積みもあり、小さな矢穴のある石も見られるが城のものかどうかは不明である。
地形から東側に堀があったと思われるが、それらしき地形は確認できなかった。
城へは東の岡山県側から道が付けられている。車は田上公民館に駐めるように指示されており、そこから道しるべに従っていくと滝山城の主郭に達する。
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