文明2年(1470年)河合豊前守行重によって築かれたと云われる。
河合氏は正霊山城主藤井氏と姻戚関係を結んで勢力を伸ばしたが、毛利氏の台頭によりそれに従ったと云う。
元亀年間(1570年〜1572年)横手山城主岡崎氏と争い、岡崎氏没落後はこれを奪って居城を横手山城へ移し城代を置いた。また、天正3年(1575年)国吉城主三村政親の攻撃を受けたがこれを退けたという。
城は川相小学校の北西にある小山に築かれている。
現在城山には主郭には稲荷大明神が祀られている。北東の尾根に堀切が一条残るが、車が乗り越えて走っているようだ...。
南からの参道を登って行く途中に右側に入る小道があり、それを進むと五輪塔群が祀られている。中には天文4年の銘が残るものもある。
県道9号線から県道104号線に入り、川相小学校の前を通りすぎて北側に中山城の案内板が見える。
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