築城年代は定かではない。城主は粟根氏で天別豊姫神社社領の領家職と地頭職を兼任したという。
応仁・文明の乱の後、粟根入道道善、大永年間頃は粟根長門守政包、天文7年(1538年)に大内氏に攻められ落城し、一時安芸国畑木山城主梨羽中務少輔景行が在城したが、吉川元春に仕えた粟根助十郎が功を挙げ再び粟根城を居城としたという。
粟根城は上野集落から南へ伸びた尾根の頂部に築かれており、北を除く三方は急峻な地形となっている。
粟根城は標高301.9mの所に主郭を置いただけの単郭の城で、北側に続く尾根に堀切を設けただけの単純な構造である。北尾根から歩いて行くと一条の堀切があり、その先は切岸となっているが上は細尾根である。ここから更に南へ進むと土橋の架かった堀切があり、その先に弓なり状になった堀切がある。
県道21号線から県道418号線に上野集落を目指す。上野荒神社から尾根伝いに歩いて行ったのだが酷い薮でイバラと格闘する羽目にあった。帰りは尾根上からそのまま石切り場へ降りる道を選択した。作業していなければこちらから登る方が簡単である。
最寄り駅(直線距離)