備後 掛迫城びんご かけざこじょう
△トップに戻る
築城年代は定かではない。亀寿山城主宮氏の一族で法成寺宮氏の居城という。
最後の城主は宮治部大輔勝国で天文19年(1550年)大内氏によって攻め滅ぼされた。
掛迫城は北の山塊から南へ派生した尾根の先端頂部に築かれている。
山頂に主郭を置き北尾根を堀切で遮断している。主郭からは南西に二段の削平地、西にも二段の削平地が残る。
南西の麓にある小糸城は掛迫城の居館と見られている。
城山の南西側にある二つの溜池の所に道標がありそこから登ることができる。