備後 小糸城びんご こいとじょう
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築城年代は定かではない。亀寿山城主宮氏の一族で法成寺宮氏の居城という。
最後の城主は宮兵部大輔勝信で天文19年(1550年)大内氏によって攻め滅ぼされた。 北東にある掛迫城を詰とする居館と見られている。
小糸城は北の山塊から南へ派生した丘陵に築かれており、南の平野部を見下ろす位置にある。
案内板がある丘陵は南北二段で東側が土塁状になっているのだが、宅地開発によって削られた部分だという。道路を挟んで北側にある丘陵には石鎚神社が祀られているがここも城域で堀切で区画してあったという。