永禄8年(1565年)小田政清によって築かれたと云われる。
小田氏は足利氏の幕臣床上小松秀清が応安2年(1369年)に小田郷の地頭職に補任され下向、当初は神戸山城を築いて居城とした。秀清の子康清の時代に小田氏を称したという。
弘治元年(1555年)小田政清のときに出城として岩屋山城を築いたが、庄氏によって攻められ神戸山城も岩屋山城も攻略され、小田氏は伊予へ落ちていった。その後、庄氏と和睦して小田郷に復帰した小田政清は永禄8年(1565年)馬鞍山城を築いて居城を移した。
小田元家のとき毛利元清に属して朝鮮に出兵、帰国後の文禄4年(1595年)安芸国へ転封を命じられこの地を去った。
馬鞍山城は標高224mの馬鞍山に築かれている。
主郭は山頂にあり、そこから西へ向かって低い段差で平段を連ねているが、西端はそのまま自然地形として伸びており、堀切などはない。東背後はやや高い切岸となるが、そのまま緩斜面の自然尾根が続いており、こちらも明瞭な堀切はみあたらない。
山頂には馬鞍山の標識があるが、登山道は不明瞭。おそらく背後の竜王山方面の尾根道をたどるのが確実と思われる。
北麓の池から登り、「新登山道」の標識のあり西尾根を下ったが、登山道は雑木林に埋もれ、麓近くでは道が消滅している。
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