応永14年(1407年)細川満国によって築かれたといわれる。 鴨方細川氏は管領細川家の後裔で満国は備中浅口郡・矢田郷、伊予宇摩郡・温泉郡、摂津小林上下庄、丹波畑之庄などを領していたといわれる。
七代鴨山城主となった細川通董(通薫)は、はじめ伊予国川之江城にいたが、永禄2年に青佐山城に入り七年、続いて龍王山城に入り九年在城し、天正3年(1575年)に宇喜多氏によって奪われていた鴨山城を毛利氏の援助のもと奪還した。
天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐では、小早川隆景に従って出陣し、その帰路赤間関(現在の下関)にて没した。家督は細川元通が継ぎ、関ヶ原合戦後は毛利秀元の客将となった。
鴨山城は長川寺の北西に聳える標高168.2mの山頂に築かれている。
主郭は山頂にあって北端に櫓台が付いている。そこから南へ向かって階段状に削平地が連なるが、多くは岩がゴツゴツした地形になり、先端部は岩だらけの地形になっている。 石碑は主郭ではなく、途中に建っている。
主郭の北側は自然の鞍部で主郭側は巨石群になっており、堀切の役割をはたしていたようである。ここから東へ降りる遊歩道があり、これを降りると駐車場に至る。
この鞍部から北の部分は整備されていないが、城郭遺構と思われる削平地が段々と連なっている。基本的に広い削平地が連なるだけで堀切などは見あたらないが、主郭より南の削平地は岩がゴツゴツあるのに対してこちらはより開けた広い削平地となっている。地形図の標高150mより上の部分がほぼ城域となり、南北350m程の規模になる。
「かもがた町家公園」か長川寺を目指せばよい。城へは長川寺から登る道が付いているが、車で山頂付近まで行くこともできる。駐車場からなら主郭まで二・三分程である。
長川寺は細川氏に縁の禅寺で、境内には細川通董(通薫)の墓もある。
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