暦応元年・延元3年(1336年)河野氏命により土肥義昌が築城したのが始まりとされる。
伊予最東端の地で伊予、讃岐、土佐、阿波の街道が集中する地にあるため再三戦火にまみれている。 康永元年・興国3年(1342年)には足利側の細川頼春が来襲し落城、貞治3年・正平19年(1364年)、康暦元年・天授5年(1379年)にも落城している。
天正13年(1585年)羽柴秀吉による四国攻めで、伊予に上陸した小早川隆景の軍勢は新居郡の高尾城、高峠城、金子城を次々と攻め落とし、宇摩郡に転進して仏殿城を攻め落とし、長宗我部元親が降伏したこともあって終戦となった。これにより仏殿城は廃城となった。
仏殿城は伊予灘に面した標高62mの城山に築かれていた。現在城山公園として整備され、模擬天守が建っている。
天守(模擬 天守)
櫓門(模擬 櫓門)
涼櫓(模擬 櫓)
山頂近くまで車道があり終点に駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)