『芸藩通志』には「申宮城 水落村にあり、水落備後直綱より、数世此に拠る、」とある。
『萩藩諸家系譜』によれば、熊谷堅直の子として水落直綱がおり、永正14年の有田合戦で討死したとある。
申宮城は庚申神社の背後にある標高139mの山に築かれている。熊谷氏の居城高松山城とは根の谷川んで西に隣接する。
主郭は山頂で中央部に南北に細長い土壇を残して削平している。主郭の切岸は高く、北東下に腰曲輪IVとV、南下に腰曲輪IIとIIIが確認できる。
北へ続く尾根は堀切3によって遮断、西へ続く尾根は切岸直下の堀切2とそこから少し離れた位置に堀切1を設けている。
南の腰曲輪IIとIIIの間は巨石を残して虎口状に開口するが、下方は竪堀状地形になっている。IIIの西側からは南へ下るスロープになっている。
駐車場はない。庚申神社の参道入口に案内版があり、申宮城について記されている。特に整備された道はないが、庚申神社の西から登っていくのが良いだろう。地理院にある点線をたどると可部城墓苑の北側に至り、山道はあるがやや荒れている。
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