『芸藩通志』には「観音寺山 宇禰能上 雨乞山 山根 門田山 王子城 並に同村にあり、共に主名を傳へず、おもふに、皆熊谷氏の属城なるべし、以下城名のみ挙るは、主名を失ふなり、」とある。
詳細不明ながら、熊谷氏の城とされる。
門田山城は三角点のある標高188.0mの山から東へ派生した尾根に築かれている。
主郭は山頂にあり、中央一段小高い曲輪Iがあり、その周囲を曲輪IIが巡る。主郭Iの東側に鈎状の凹みがあり、虎口と考えられる。
主郭部の周囲は高い切岸となっているが、下方は犬走りのように通路程度の緩斜面地形が残されている。主郭の西側Aはやや小高くなって加工されており、城郭にともなう地形、主郭への入口につながる地形とも考えられる。
西背後は自然の鞍部で堀切にはなっていないようである。東尾根は内側が削られて土塁状になった地形の先は墓地になっている。山上にある墓地としては広く整然とした削平地であり曲輪があった可能性がある。
主郭から南へ伸びた尾根は山道があり、下方に堀切状の溝がある。東の谷間から山道が接続していてそのまま尾根を登っているが、不必要に尾根を遮断するように溝があり、南側の尾根先は土塁状の高まりがあるので、堀切の可能性がある。
可部バイパスを潜った先から登って行く道があり、山上の墓地への参道になっている。
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