『芸藩通志』には「観音寺山 宇禰能上 雨乞山 山根 門田山 王子城 並に同村にあり、共に主名を傳へず、おもふに、皆熊谷氏の属城なるべし、以下城名のみ挙るは、主名を失ふなり、」とある。
詳細不明ながら、熊谷氏の城とされ『日本城郭大系』では熊谷市家臣荒川氏の居城とする。
山根城は標高188.0mの三角点のある山から南東へ伸びた尾根に築かれていたという。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 』に掲載されている図面では尾根上に二段の曲輪を描いているが、まったくの自然地形で遺構を見つけられなかった。
付近のCS立体図を見ても、既知の城郭部分を除いて城跡のような形状は確認できない。