『芸藩通志』には「観音寺山 宇禰能上 雨乞山 山根 門田山 王子城 並に同村にあり、共に主名を傳へず、おもふに、皆熊谷氏の属城なるべし、以下城名のみ挙るは、主名を失ふなり、」とある。
詳細不明ながら、熊谷氏の城とされる。
宇祢能城は観音寺山城とは尾根続きで近接する標高196mの峰に築かれている。
比較的なだらかな山頂部の一角に高さ2m~3mほどの切岸を備えた曲輪がある。 中心部Iがやや小高くその周囲を帯曲輪が巡っている。帯曲輪はやや折れがあるが横矢掛を意識したものには見えない。
曲輪の構造からして周囲に横堀が巡っていたのではないかと思われるが、北側に堀切1が確認できるだけで切岸の周囲はなだらかである。
堀切1は細い土橋を残して南は切岸に面して南に伸びるのに対し、北側は竪堀として伸ばしている。竪堀の北側には土塁状地形を伴う緩斜面Aがあるが、城郭遺構かどうか判然としない。
観音寺山城経由できて、東尾根を降った。山道は東尾根を下る道と北尾根、西尾根方面に伸びているのみで、地図にある南側の破線は確認できなかった。
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