『芸藩通志』では「世宇武城 清水城 並に久地村にあり、せうふ城は麻生右衛門鎮里所居」とある。
詳細不明。城主と伝えられる麻生右衛門鎮里は筑前の武将で、大内氏にしたがって水晶城の城番を務めていたことがある。
久地城は標高約230mの城山(ジョウヤマ)に築かれている。
東へ伸びた尾根の先端に主郭があり、南下に一段腰曲輪IIを備える。北側は崖地形で登攀はほぼ不可能、東尾根側もかなりの急坂である。
主郭Iは西端に土塁があり、南側面には一部石積が確認できる。腰曲輪IIも西面に竪土塁を備えている。
主郭の西背後は二重堀切1で遮断するが、外側の堀は浅い。さらに西へ進むと堀切2?がある。尾根上ば若干土橋状で南側のみ竪堀が伸びている。この溝は長く伸びているが下の方は雨水による侵食で伸びている感じであった。
ここから少し登ったところにも堀状の溝が確認できるが自然地形と思われる。
車は久地集会所に駐められる。
地元の方は城跡があるのをご存知で「ジョウヤマ」と呼んでいた。登山道は南の谷筋にある砂防ダムの脇を登って行くルートが一般的だということで、こちらから登ったが、途中からはほぼ道が消えてひたすら登るだけである。
昔は東尾根を登っていたという話だったので、下山時にこちらから降りてみたが、南よりさらに急で岩もゴロゴロしており、降りた先は民家の庭のようなところなので、こちらから登るのは避けた方が良い。
最寄り駅(直線距離)