文安元年(1444年)古市氏によって築かれた。
興福寺衆徒の古市氏が筒井氏に備えるために鬼薗山城築城が計画されてたが、に鬼薗山城のある丘陵が興福寺境内であったことから、東に隣接する西方院山城に計画が変更となり着工された。しかしわずか3ヶ月ほどで当初の計画どおりに鬼薗山城の築城が進められたため、西方院山城は未完成のままであった。
文明11年(1479年)越智氏、古市氏は筒井氏に備えて再び城を構えることになり、西方院山城が築かれた。このときに二重の古堀が残っていたことが記録されており、文安元年築城当時の遺構があったことが知られる。
今度は完成して軍勢が配置された西方院山城であったが、わずか3日後に筒井方の軍勢が押し寄せ、自焼して落城した。
瑜伽神社の東側に柵の開口部があり入ることができる。
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