築城年代は定かではないが超昇寺氏によって築かれたと云われる。 超昇寺氏は一乗院方の国民で、佐保田庄下司職であった。
『経覚私要鈔』に長禄3年(1459年)越智方の相楽新氏、琵琶小路氏と争って超昇寺城に籠もったが敗れた記録があり、これが初見となる。
永禄10年(1567年)頃には筒井順慶が西大寺に人足を求めて城を改修し、松永久秀に備えたが、永禄12年(1569年)に筒井氏は追われ、松永氏によって10日間かけて超昇寺城は破却された。しかし、その後に筒井氏が盛り返すと再び修築され、天正年間(1573年~1592年)に大和一国破城までは存続していたという。
超昇寺城は御前池の西側、佐紀神社の北側にある微丘陵に築かれている。
竹藪のなかに周囲を切岸で囲まれた主郭が残り、北は北郭との間に空堀が残っている。