慶長8年(1603年)徳川幕府によって築かれた。 南都奉行所は奈良奉行所ともいい、その前身は天正13年(1585年)豊臣秀長が郡山に入部したさい、家臣の井上高清を代官として奈良に置いたことに始まる。
慶長5年(1600年)徳川家康の家臣大久保長安は大和国の幕府領の代官の一人に任ぜられ、奈良派遣奉行衆統括職であった。慶長8年(1603年)に南都奉行所の位置に代官所が設けられ、慶長18年(1613年)に中坊飛騨守秀政がはじめて南都奉行の職に就いた。
南都奉行所は現在の奈良女子大学の位置に築かれていた。 城郭大系によれば、奉行所は151m×144mのほぼ方形で周囲に幅11.5m〜17mの濠が巡っていたようであるが、遺構はない。