延宝5年(1677年)近藤登之助貞用によって築かれた。 五近藤家の本家にあたる金指近藤家の二代貞用は五千四百石余りを領し金指近藤陣屋を構えて初代旗本となった。陣屋は当初500m程東の「元屋敷」と呼ばれる地に築かれていたが(金指近藤陣屋iを参照)、延宝5年(1677年)この地に移された。
金指近藤陣屋のあった地は現在畑や宅地となっているが、北側の道路に面した辺りに土塁が残っている。慶長2年(1597年)近藤季用が初めて市を開いたことに由来する「市神」が金指駅の北側の国道沿いに残る。 また、宝林寺は金指近藤家・気賀近藤家の菩提寺で近藤家の墓所がある。(金指近藤陣屋iを参照)