築城年代は定かではなが暦応2年・延元4年(1339年)には三岳城の支城として南朝方勢力が守備していた。
暦応3年(1340年)2月南朝方の井伊道政の籠もる三岳城が落城し、道政は宗良親王とともに大平城に逃れてこれに籠もったが同年8月北朝方の仁木義良らの夜襲に遭い大平城も落城した。
大平城は灰木川の北岸にあり五体力神社の北の山に築かれている。
主郭は北側の山頂にあり、東へ伸びた尾根には東曲輪が続き先端を堀切している。 また、主郭の西から南西方向に伸びた尾根に西曲輪があり、これも南西の先端に堀切を設けている。北側は主郭と西曲輪の東端部からそれぞれ伸びた尾根に堀切がある。
県道68号線沿いにある五体力神社の参道入口に案内板と石碑があり、そこから山道が付いている。
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