築城年代は定かではない。進美寺は慶雲2年(705年)行基によって開創されたと伝えられる古刹で、南北朝時代には天台宗比叡山延暦寺の末寺として但馬における南朝方の拠点となっていた。
建武3年(1336年)南朝方の勢力が蜂起すると、今川頼貞に従って京より但馬へ帰国した伊達義綱の軍勢が進美寺城を攻め、激しい戦闘が繰り広げられた。その後、北朝方の軍勢が進美寺城を攻め落としたが、再び南朝方が取り戻し、建武5年(1338年)には再び今川頼貞に進美寺城を攻略するよう命ぜられている。
進美寺城は円山川に沿って聳える標高361mの進美寺山に築かれている。 山頂部に白山城、東尾根に掻上城、そして観音堂から北へ伸びた尾根を進美寺城がある。
進美寺城は山頂の北東下にある観音堂から北へ伸びた尾根に展開している。 中心部は寺院跡であるため高い山にありながら広く削平され、段々と平段が北尾根へ続いている。明確な城郭遺構は北尾根の先にあり、林道脇に堀切、さらに奥にも堀切が残っているようである。
登山道は西麓の赤崎集落にあり、伊久刀神社の脇から登山道が山頂まで続いている。駐車場はないが、集落の外れの道路脇に駐める事ができる。
もう一つ、北側から観音堂近くまで林道がある。利用していないのでどの程度の道かはわからないが、軽トラが登ってきているので普通車でも登れるのかもしれない。
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