詳細不明。城主は赤木丹後守で、天正8年(1580年)羽柴秀長による但馬攻めで、水生城の合戦に但馬衆として参戦したという。
上郷城は標高87.9mの山頂部周辺と、南東の尾根にも遺構が点在している。
主郭は山頂にありこの山に点在する円墳を利用した曲輪となっている。この主郭を中心に帯曲輪や腰曲輪を設けており、側面に設けた屈折させた竪堀などと連携して横矢を掛けるような張り出しもあり、段曲輪のみであるが、やや技巧的な印象を受ける。
南東にある丘陵部にも遺構があり、中央に大きな堀切を挟んで南北に不明瞭な曲輪がある。主郭部と比べると加工が少なく古い時代の遺構であろうか。
北端にある水門の所から取り付いたが、山が崩れているため登りづらい。尾根上まで上がれば主郭まで行くことができる。
最寄り駅(直線距離)