寛延2年(1749年)より水上小出家の陣屋になった。 水上小出家は寛文6年(1666年)小出英勝が気多郡内に一千石を分知され旗本となったことに始まる。英勝は小出吉英の三男保科正英の子であるが、祖父吉英の養子となり、倉見小出家、大藪小出家とともに分家した。
陣屋は当初山本村に置かれていたが、寛延2年(1749年)より水上村の三木家が代官を務め、三木家宅が代官所となった。
水上小出家は英勝の後、英連、英通、英興、英福、英亮、英資、英政と八代続いて明治に至る。
水上陣屋は日高東中学校の南側にある水上公民館の所に築かれていた。 南と東側に石垣が残り、南東隅にはスロープが付いてその上に水上代官所跡の石碑が建っている。ここの入口には昭和の終わり頃まで陣屋門が残っていたが崩壊したという。